人は実は自分だった
夫の嫌なところ、許せないところ、それは
全部、自分自信だった。
まるで、わたしを見ているかのよう。
夫に限らず、周囲の人の、嫌だなって、
もっとこうして、と思う部分は、
まさに、わたしだった。
わたしってどんなのか、分からせる為に
目の前に現れてくれてるみたいだ。
言葉か行動、どっちが大事?
言葉は大事。
言葉は、力。
でも、同じくらいか、それよりもっと
行動が大事かも。
「母業」それだけで、自信。
60歳のわたしへ
浅田真央さん、引退です。
あと、アメリカと、北朝鮮との・・国際関係、トランプ、、緊迫しています。
戦争が起きないか、心配です。
アメリカと北朝鮮は遠いですが、日本と北朝鮮は、目と鼻の先です。
今日、本やで、地球儀見て、思いました。
今日、マツコデラックスの本を読みました。
彼?彼女の言葉は、よく、とても励まされます。
「お母さんは、それだけですごい。主婦してる人は、ただの主婦だから」とか
絶対そんなふうに思わないでほしい、と言われていた。
今、わたしは、シッターの仕事もやめ、自分で稼ぐこともなく、社会とのつながりも無い日々に、自信を無くしかけていたけど、これでいいんじゃないか。と、思えました。
現代は、女性の社会進出も増えて、女性もそれを望んでいるけど、実際、結構しんどくて、でも、男性は、女性が働くのが、今度は逆に当たり前だと思ってる。
家事も大半はして、午後15時くらいまで、働くのは、当たり前と思ってる。
でも、家事、育児って、ほんと~に、限度なく、大変なのに、男はまだまだ分かってないです。
あと、今日初めて思ったこと。
「モンスターペアレント」は、本当に悪いのかな?
戦争に日本が突入するときの、日本の学校での教育。日本国のために命をささげよ。
との教育に、どれだけの親が、学校や教師に、異議を唱えられたんだろう。
おそらく、無駄でも、異議をとなえるべき、だったのかもしれない。
ソローが、言っていたこと。良い国民であるまえに、まず、人間であるべきだ。
というようなことを言われていて、わたしもそう思う。
わたしは今まで、自分が幼いとき先生にいじめられたのにもかかわらず、先生の味方をしてきた。「先生も大変だ。先生は、一人で30人もの子供を見ているのだから、細かいことや、一人ひとりに対応するのは難しい」
でも、先生を味方するのは、おかしいのかもしれない。
先生は確かに、ひとりで戦い、大変。でも、それが、教師だ。
でも親がかばうべきは、教師ではなく、子供。
毎日学校に夕方まで通うのが当たり前の今日。
教師の責任が重すぎる、もっと、さまざまな人生経験のもとの人間から、学ばせること。つまり、「担任」が、ほぼすべての教科を受け持つ、というのが、どうかな?と思う。
自分の咲く場所
60歳のわたしへ
39歳、今だ人生に悩み、迷っています。試行錯誤です。
疲れること、多いです。
風呂あがり、思いましたが、
花を例えても、どこにでも、皆の足元に咲けるタンポポもあるし、一方で、日向にだけ
咲ける花、日陰にだけ咲ける花。高い山のてっぺんにのみある花。水の中にだけ、咲く花。
人間も、それでいいのかな。人と交わらなければ、と、決めつけないでも、夫婦を全うせねば、と苦しくならなくても、自分の生きやすい方へ、場所にいればいいのかな。と。
協調性、調和、友達、団結、それは大切だけど、この世界に生きてるならそのままで、
それでいいのかもしれない。どんなにかわってても、ひとり、皆と離れてても、それでもいいんじゃないかな。生きてることだけで、「調和」されてるんじゃないかな。
愛犬・ナナが死にました。
60歳のわたしへ
今日、午前9時ころ、ナナが息をひきとりました。
18年くらい生きたようです。
今日は、久々、雨が降っています。
母もこれで、本当に家に一人になりました。
日々、大切にせねば、と思っていても、いなくなった後にしか、本気で後悔できないです。死がもうすぐ、と思ってはいても、その、いつまでも「もうすぐ」と思っているのです。
毎日の祈りの中に、今でも、ナナのことも入れてくれていますか?